トンボノート

トンボです。

相撲協会に「公益性」は残っているのか

昨年末から新年はじめにかけて、相撲協会にまつわる問題が世間を騒がせた。暴行問題、過去の事件、組織の体質…。ニュースも新聞も、電車の中でのおばちゃん達の会話も、角界関連の話でもちきりだ。

 

昨年末には、当時横綱であった日馬富士関が平幕の貴ノ岩関に暴行をふるった事件が問題になった。モンゴル出身の力士の間で起きたこの問題は、九州場所が開催されている最中の11月半ばにメディアが報道したことで明るみに出ることとなり注目を浴びた。

当初はビール瓶の存在が争点となるくらいの話であったこの問題は、両力士の所属部屋の親方の姿勢や相撲協会の事後の対応をめぐる疑惑などにもおよび、一部の報道ではモンゴルと日本両国間の問題への波及も心配されるなど、どんどんスケールが膨らんでいった。結局、日馬富士関は現役引退、傷害罪での略式起訴という形にいたり、親方と協会を巡る問題では、貴ノ岩関の親方で巡業部長であった貴乃花親方が協会理事の解任という形になった。

その後も、過去の暴行問題をめぐる疑惑や協会の事後対応の不備など、報道のネタは尽きる様子がない。

 

年末の暴行事件にまつわる話は、様々な視点から指摘を受け続けるうちに、いつしか一つの事件の枠を離れ、相撲協会、相撲界全体にかかわる問題へと変わっていった。

 

 

 

相撲協会の在り方を考える上でのキーワード

 

しかし僕は、この相撲協会という組織をめぐる話が、果たして正しい方向に進んでいるのかという点に関して、いささか疑問を抱かずにはいられない。

貴乃花親方vs協会という、対立劇として描かれ注目を浴び続けているが、そんなヒーロー活躍劇のようなもので片づけられる話でもない。どの報道も、貴乃花親方がどうなるのか、協会はどんな判断をするのか、という部分を追うのみである。それがどんな結果に終わっても、ヒーロー劇の観客はそれぞれ思い思いの感想を述べながら離れていくだけだ。

現実に、今回の役員候補者選挙の結果に対して批判は出ても、具体的に協会の体制を変えるような動きは出てこない。

 

理事を解任され、賛同してくれる親方からの票を頼りに役員候補選挙に挑んだ貴乃花親方のHPのメッセージを読んだ。僕は、今回の貴乃花親方の問題提起の方法などには必ずしも支持できないと感じる部分もある。しかし、この声明には、相撲協会を考える上でのカギが示されていると思うのだ。

協会の行く末を考える件では、「大相撲は誰のものか」「公益性の意味を考え直す時期に来ている」といった考えがつづられていた。

 

僕は、この相撲協会の存在意義、つまり「公益性」こそ、一連の問題において論じられるべき部分だと思うのだ。公、というのだから、当然その言葉が示すのは、協会重役でもなければ貴乃花親方でもなく、我々市民だ。本当に公益性を考えて論じるべきは、相撲報道のテレビをコタツでのんびり眺めがちな我々である。

 

ざっくりしすぎなので、詳しく話していきます。 

 

 

公益法人」としての相撲協会

 

まず、日本相撲協会という組織がなんなのかという話から。

僕なんかは、相撲界を支えるでっかい団体、というような程度の認識でいたのだが、この組織がそもそも何なのか、公的なのかそうでないのか、といった話は意外と知られていないのではないだろうか。組織の概要を見ていこう。

公益財団法人日本相撲協会(にほんすもうきょうかい英語: Japan Sumo Association)は、大相撲興行の幕内最高優勝者に対して「摂政賜杯」(現在の天皇賜杯)を授与するために1925年財団法人として設立され、2014年公益財団法人に移行した相撲興行団体である。公益法人としての法人格の取得及び維持のため、相撲競技の指導・普及、相撲に関する伝統文化の普及を定款上の目的としている。

出典:Wikipedia-「日本相撲協会

設立はかなり古く、歴史のある組織である。相撲を運営すると同時に、相撲文化を盛り上げていこうというのが、この協会の目的。

相撲協会は「公益財団法人」という団体に分類される。法人には財団やら一般うんたらやら色々な種類があるが、ここではそれぞれの法的な細かい定義などは省かせてもらいます。話すと長くなって僕が何を言いたかったのか忘れてしまうので。

 

 

ざっくりとイメージの話だけをしよう。法人には大きく分けて「社団法人」と「財団法人」の2つがある。

 

社団法人」は、平たく言うと「何かをしたい人たちの集まって作る組織」だ。社団法人になると、その組織の名義で事務所を借りたり契約を結んだりってことが可能になる。同好会やら協会やら、何かをしたい人たちが組織的にやっていこう、となったものが社団法人だ。

一方の「財団法人」は、「お金がめっちゃあるからそれ使って何かしたい人が作る組織」だ。個人や会社が持っているたくさんのお金、そのまま抱えていても何も起こらないので、せっかくだしこれで何か運営して金利で資産も増やすか、ってなったときに必要となるのが財団法人の立ち上げ。財産運用のためのものなので、設立するときには財産が300万円以上なくてはいけない。

そして、これらの法人の事業が世のため人のため、つまり公益性を持ったものであるという認定をもらえれば、「公益法人」となり、それぞれ「公益社団法人」「公益財団法人」となるわけだ。

 

なるほど。でも公益法人になると何かイイコトあるんだろうか?そもそも、公益性ってよく分からないし、そんなもん誰が認定するんだ。

 

公益法人化のメリットは、主にお金(税金)関係での優遇が受けられることにある。事業の収入が非課税になったり、寄付金を払った人にも優遇措置があったりするのだ。また公益法人はそんなにポンポン簡単になれるものでもなく、優れた事業能力があることの証明にもなるので、社会的な信頼、ネームバリューが得られる点は大きいだろう。

その公益性、つまり多くの人々のために役立つ事業なのかどうかという判断は、民間の第三者委員会の審査で行われる。しっかり運営するための経理能力があるか、理事や関係者に特別な利益を与えたりしていないか、といったような審査項目をクリアしなければいけない。

特典が税制優遇措置なので、ほとんどは資金運用がらみの項目となっている。この第三者審査をクリアしたあとに行政庁(内閣府もしくは都道府県)に正式に公益の認定をもらうことで、公益法人として事業の優遇を受けられるようになるのだ。

 

法人設立自体の壁が高くないのに対して、公益認定はかなりハードルの高いものであるといえるだろう。

当然、定期的な監査次第では認定の取り消しもあり得る。しっかりとした運営体制が整っていなければ公益法人化は難しい。

 

相撲協会はこうしたハードルをクリアし、公益のための団体という名のもとに活動を行っているのだ。貴乃花親方らが問題視する「公益性」というのは、ぼんやりした目標の話ではなく、厳密に定められている決まり事なのだ。

 

ここまでが相撲協会の組織としてのまとめ。長くなったが、では以下から最近の相撲協会の問題をどのように考えるかという話に戻ろう。

 

 

相撲協会の「公益性」を議論すること

 

 

歴史もあり、上に述べた公益監査も通っている相撲協会は、経理面では問題のない法人のはずだ。大きな団体だし経営陣も優れた人材を豊富にそろえているに違いない。

では、運営面、もっというと理事会をはじめとす役員陣はどうだろうか。先ほど述べたように、公益認定の項目には「理事や関係者に特別な利益を与えたりしてはいけない」というものがある。

役員会の理事・副理事の一覧には力士出身者が名を連ねる。外部及び監事には検察庁、会計士、住職などの出身者があたっている。評議員会を開く評議員にも力士出身者、他協会の出身者などがおり、議長である池坊保子氏は文部科学副大臣だった方だ。

 

先に述べておくと、僕は力士出身者の役員はグルだとか、議長は文科省とのパイプ役だとか、そんな陰謀論や憶測を語るつもりはないし、そんな話は何の役にも立たないことは分かっているつもりだ。しかし、この体制の組織が行った問題への対応に、果たしてどれくらいの人が手放しに全幅の信頼を寄せられるのだろうか。派閥が存在する世界で、役員を含むあらゆる協会構成員は、何にも縛られず正しい判断を下すことができているのだろうか。

そのあたり、疑問が拭いきれないのも確かである。組織の枠組みというハード面がいくらちゃんとしていても、ソフトの面次第で組織が腐敗し崩れることもある。

 

事件後、九州場所千秋楽の表彰式で万歳三唱を行った白鳳に対して、協会内部からも批判が出たと聞く。

問題がまとまっていないのに事件の当事者である白鳳が音頭を取ったこと自体に対する批判はわからないでもないが、おそらく彼は純粋に、心配しながら見に来てくれた相撲ファンの人々にせめて楽しく帰ってもらいたいというサービス精神で行ったのだと思う。観客を、ファンを、第一に考えて動くことはそんなに誤った判断なのだろうか。協会の顔立てやらお偉いさんへの礼儀やらが、人々を楽しませること以上に相撲に大切なものなのだろうか。

この話においても、僕は、今の協会には相撲文化を支える一般の人々を見る目が失われているのではないかと思ってしまうのだ。

 

 

推測でモノを語るな、というのであれば、むしろだからこそ彼らは徹底的な問題の解明と、公たる人々に対しての説明を行うべきなのだ。

公に益すること、相撲の文化の継承と発展を標榜する以上は

「お金の流れがクリーンだし実際に行政庁の視察もパスしてるんだから事業運営は健全そのもの、何も問題はないだろう文句言うな」

的な姿勢がまかり通るべきではない。

 

もちろん協会役員は政治家ではないから、公平性が損なわれるからというような理由で辞めさせられるなんてことはまず起こらないだろう。私たちは協会の役員の人間を決める立場にないし、ふさわしい人物かどうかを判断する資格もない。

相撲の実際の運営も担っている以上、外部からの人間ではなく自らが相撲に関わってきた人々でなければ動かせない部分もあるのだろう。

しかし、今現在の相撲協会が公益性によって成り立っている以上、「相撲ファンでもなく寄付もしたことない一般人に説明する必要はないし、あれこれ言われる筋合いはない」というわけにはいかないし、僕はむしろ政治家の説明責任にも近いものが彼らにはあると思っている。

今起きている問題に関する説明も、所属力士やスポンサーだけではなく、多くの市民の理解を得るために行わなければならないはずだ。一連の問題の対応の中で、物事の流れを変えてしまうような「特別な関係」というのがないというのであれば、それだけの説明責任を果たすべきだろう。

 

 

もしそれができず、人々に理解が得られないのであれば、少なくとも協会は法的に公益団体を名乗るべきではないのだから。

 

  

そして、これを論じる僕たち市民やメディアの方も姿勢を改めなければいけないだろう。貴乃花親方を孤独のヒーローに仕立てて応援するより、やるべきことがあるはずだ。

協会に公益組織としての説明と今後の対応策を求めていかなければ、相撲協会の体制・姿勢が変わることはない。いくらワイドショーで親方同士の確執話や人柄なんかが報道されたところで、協会の行く末に影響を及ぼすようなことにはなりえない。

この問題を扱う上で追求すべきは、親方の個人的な話ではなく、組織としての、公益団体としての相撲協会の在り方の部分なのだ。有名で昔からある団体だからと言ってその組織の基盤を疑わなくなったら、協会の体質は見直されないままになるだろう。役員の話も、過去の暴行問題の話も、すべて個人的な事情ということで終わり、同じような組織体制がこの先も続いていくだけだ。 

 

 

 

 

日本の伝統文化や文化財がらみの組織やら制度は、実は結構穴だらけでグダグダな部分もあると聞く。

例えば博物館や動物園などに関わる法律である博物館法は、「ザル法」(不備だらけであるということ)なんて呼ばれたりもしている。そんなだから博物館はお金関連でも制度関連でもおかしな部分がたくさんある。いろんなしがらみの中でなかなか改善できずに続いていることが多いのだ。

相撲協会のような大きな文化事業の組織を改めて根本から考え直すことは、そうした日本の伝統文化事業全体を見直すことにも関わってくるはずだ。

 

 

 

 

「伝統」の名のもとに、素晴らしい文化が腐敗に巻き込まれ、いよいよ修復不可能なまでに損なわれてしまってからでは遅い。